Up 「実体」 の言語ゲーム 作成: 2025-12-19
更新: 2025-12-19


    現象論は,つぎの認識をもっている:
      「<文脈整合的なテクスト生成>を,
       <偶然>で済ますわけにはいかない」
    このとき,メカニズムを求めれば,「生成主体」 を立てる実体論と同じになる。
    また,不可知論を立てることは,「生成主体は不可知」と言っているのと同じ。
    現象論は,実体論を免れている(てい)ではない。

    実際,現象論が退けているのは,実体論ではなく実在論である。
    実在のイメージは,
       「知覚・感覚が捉えるもの」
    これは,存在階層論 (現象論) によって,解体される。
    実在は,幻想である。


    翻って,
      実体論の「実体」とは何か?
    という話になる。

    これをまじめに考えると,プラトニズムの復活になる。
    この話の要諦は,まじめに考えないことである。
    このまじめに考えると考えないのよい教科書が,Wittgenstein の前期と後期。

    実際,実体論は, 「実体」 の言語ゲームなのである。
    即ち,現象の観察から,
      <実体にすると便利で,論理的にも破綻しないもの>
    が浮かび上がるとき,これに名前をつけて実体にする。


    実体の言語ゲームが所与のところで生きる者は,実体を実在にする。
    そこで,実在は幻想であることを知るために,現象論 (存在階層論) をやる。
    そして,実体の言語ゲームの理由を知る:
      ・実体措定は,便利
      ・実体措定を論理的に破綻させない物理的基盤が有る

    そこで,功利主義の立場から,確信犯的に実体の言語ゲームを択る。
    つまり,実体論は,つぎの思想遍歴をするものである:
       実在論 → 現象論 → 実体論