Up コシャマイン 作成: 2016-10-28
更新: 2016-10-28


    新羅(しんら)之記録』:「胡奢魔犬」
    『松前家記』 :「東部ノ酋長胡奢麻尹」
    『松前旧記』 :「コシヤマケン」

  • Wikipedia
  • 気ままな風来人のたわごと
  • 『寛永諸家系図伝』(寛永20(1643)) の「松前系図」
      ① 又武田の氏族という事ハ、むかし夷の千嶋に住するものを和多利党と号す、此時松前より東廿日路、西廿日路、人宅民家ありといへども、夷蜂起して志法の城主太郎左衛門・箱館の館主加賀守・松前の城主相原周防守其外所々の城郭をせめるといへども、下国の城主茂別治部太輔・上国の城主蠣崎修理太夫、此二人なを城堅固にまもって是に居す。
      ② その折節、若洲武田大膳太夫国信の嫡男太郎信広、父と不和の事ありて若洲を立去て、商人の舟にのり松前にきたつて居す。
      ③ 此時夷又蜂起して下国・上国の両城をせめとらんとす。時に信広其ゑらびにあたって武者奉行と成て、夷の渠魁二人を討ちとり、賊徒数輩をきりころす。是によりて凶徒ことごとく敗走す。そののち治部太輔下国より上国にきたつて会合し、酒宴のとき、修理太夫ハ來国俊の刀を信宏にあたへ、治部太輔ハ菊一文字の刀を信宏にさづけて、その勇功を賞す。

  • 『松前年代記』
    • 所収 :『青森県史資料編中世3「北奥関係資料」』, 青森県, 2012

  • 松前景広『新羅(しんら)之記録』
    • 木村裕俊訳『[現代語訳] 新羅之記録』, 無明舎出版,2013
      ①  内海之宇須岸被攻破夷賊事者、有志濃里之鍛冶屋村家数百、康正2年春乙孩来而、令打鍛冶於い刀処、乙孩与鍛冶論刀之善悪価而、鍛冶取刀突殺乙孩、依之夷狄悉蜂起而、自康正ニ年夏迪大永五年春、破東西数十日程中住所村々里々、殺者某事、起元於志濃里之鍛冶屋村也、活残人集住皆松前与天河(中略)
      ②  上之国者預蠣崎武田若狭守信広、福置政季之婿蠣崎修理太夫季繁、令護夷賊襲来処、長禄元年五月十四日夷狄蜂起来而、攻撃志濃里之館主小林太郎左衛門尉良景、箱館之河野加賀守政通、其後攻落中野佐藤三郎左衛門尉季則、脇本南条治郎季継、隠内郡之館主蒋土甲斐守季直、覃部之今泉形部少季友、松前之守護下国山城守定季、相原周防守政胤、祢保田之近藤四朗右衛門尉季常、原口之岡辺六郎左衛門尉季澄、比石之館主畠山之孫厚谷右近将監重政、所々之重鎮、雖然下之国之守護茂別八郎式部太輔家政、上之国之花沢館主蛎崎修理太夫季繁、堅固守城居、
      ③  其時、上之国之守護信広朝臣為惣大将、射殺狄之酋長胡奢魔犬父子二人、斬殺侑多利数多、依之、凶賊悉敗北、其後式部太輔経中野路来山越於上之国、会若狭守修理太夫有献酬之礼、式部太夫太輔家政者授刀(一文字)於信広被賞勇功、又修理太夫者授喬刀(来国俊)於信広、此時信広朝臣者従若洲差来進(助包)之太刀於式部太輔也、修理太夫無継子、故得政季朝臣之息女為子令嫁信広、居川北天河之洲崎之館仰家督、信広朝臣為実安東太政季朝臣之聟也、[( )内は割注を指す]

     (書き下し文)
      ①  内海の宇須岸夷賊に攻め破られし事、志濃里の鍛冶屋村に家数百有、康正二年春乙孩来て鍛冶に刀を打たしめし処、乙孩と鍛冶と刀の善悪を論じて鍛冶刀を取り乙孩を突き殺す。
     之に依て夷狄悉く蜂起して、康正二年夏より大永五年春の迪るまで、東西数十里程の中に住する所の村々里々を破り、者某を殺す事、元は志濃里の鍛冶屋村に起こる也。活き残りし人皆松前と天河とに集住す。
      ②  上之国は蠣崎武田若狭守信広に預け、政季の婿蠣崎修理太夫季繁を副へ置き、夷賊の襲来を護らしめし処、長禄元年五月十四日夷狄発向し来って、志濃里の館主小林太郎左衛門尉良景・箱館の河野加賀守政通を攻め撃つ。其後中野の佐藤三郎左衛門尉季則、脇本の南條治部少季継・隠内郡の館主蒋土甲斐守季直・覃部の今泉形部少季友・松前の守護下国山城守定季・相原周防守政胤・祢保田の近藤四朗右衛門尉季常・原口の岡辺六郎左衛門尉季澄・比石の館主畠山の末孫厚谷右近将監重政所々の重鎮を攻め落す。然りと雖も下之国の守護茂別八郎式部太輔家政・上之国の花沢の館主蛎崎修理太夫季繁、堅固に城を守り居す。
      ③  其時上之国の守護信広朝臣惣大将として、狄の酋長湖奢魔犬父子二人を射殺し、侑多利数多を斬り殺す之に依て凶賊悉く敗北す。其後式部太輔中野の路を経て山越に来り、若案守修理太夫に会い、献酬の礼有り。式部太輔家政は刀(一文字)を信宏に授け勇功を賞せらる。また修理太夫は喬刀(来国俊)を信広に授く。此時信広朝臣は若洲より来りし(助包)の太刀を式部太輔に進ずるなり。
     修理太夫継子無し。故に政季朝臣の息女を得て子と為し信広に嫁せしめ、河北天河の洲崎の館に家督と仰ぐ。