場所経営は,一つの会社である。
労働力を安定的に確保せねばならない。
左翼イデオロギーのテクストは,労働力確保の方法について「強制」「強制連行」「奴隷」のことばを使いたがるが,ひとを強制するというのは大変なことである。
「強制」「強制連行」「奴隷」は,費用対効果比において,割に合わないのである。
強調するが,企業経営が「強制」「強制連行」「奴隷」を用いないのは,《人倫にもとる》が理由ではない。《間尺に合わない》から用いないだけである。
アメリカの「黒人奴隷解放」は,人道の所為ではない。経済の所為である。
──経営は,計算である!
実際,労働力確保は,労働力供出元が自ら労働力を供出するという態勢でなければ,成立しない。
そこで,労働力供出のシステムがつくられることになる。
この「体制づくり」の中に,《アイヌの側に労働力供出の役をつくる》が入ってくる。
会社の中間管理職を,アイヌの側に設けるわけである。
これが,「乙名・小使」である:
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高倉新一郎『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
pp.72,73.
寛文十年津軽藩の記録によると、蝦夷の酋長を「狄の大将」と呼ぴ又オトナと呼んでいる。
オトナとはかつて松前城下での長老を意味した言葉であった。
恐らくウイマムなどに来た時に、昔朝貢した蝦夷に位が与えられたように与えられ、酋長が仲間にそれを誇ったものであったろう。
ところがこの乙名が後に村長として藩の下部機関になったように、蝦夷の乙名も藩の命令を部下に伝達するものとなり、藩からその資格を認められ待遇されるものとなって、必ずしも蝦夷の習慣に従って選ばれるものではなくなった。
大場所ではその下に脇乙名が置かれた。
乙名・脇乙名の外にさらに各地には小使と称する役が設けられた。
これは和人の下知に従って蝦夷を奉仕のために呼ぴ集め、所定の労働に従事させる役で、副酋長というよりは全くの場所役人の下役の様なものであり、場所役人によって任命された役であった。
寛政四年の「夷諺俗語」には「小使とは組頭といふ心にて、夷の内働者のする事なり」といっている。
乙名・小使はオムシャの節特別の待遇を受け、米・酒・煙草等の土産物を貰った。
これは後に役料と考えられるに至っているが、もとは、酋長に対する贈物であったに相違ない。
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