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松浦武四郎 (1857-1860), p.740
北蝦夷地なるヲタサンといへる里はシラヌシといへるソウヤ渡し湯より、百餘里を過て奥の方東に傍ふ海岸にして、目に支るものなく、東の大洋まで眺め果へき處なりけるが、‥‥
‥‥
是はトンクルといへるものにて有りけるが、昔しより此の島に傳はりて其調もさまざま有けるが、
追々運上屋の漁事に投ぜらるゝことの繁しくなりしかは、
其琴等を弾き弄ぶ者も追々絶えしかば、其調べもいつとなく絶えしが、唯此東浦すじに今残るは此の老人のみなり。
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引用文献
- 松浦武四郎 (1857-1860) :『近世蝦夷人物誌』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.731-813
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