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松浦武四郎 (1858), p.681,682
義経大明神の杜
三尺計の小社、数十丈の懸崖の上に立たり。
五十年前迄は甲胃の尊像といへる者有し処、今其を会所え下げて祭り、此処は其形計の社有也。
土人是を義経様と号、またヒラトリ大明神とも申たり。‥‥‥
此山を
ハヨヒラ
と云り。
其義しらず。
其下ふちにして目も眩也。
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久保寺逸彦 (1956), p.201
沙流の人々は、平取の村上にある Haiopira の断崖を聖地として、祭を行う際には、必ず之を遥拝する習わしがある。
Hai-o-pira は、アイヌの始祖 Okikurmi, Ainu-rak-kur が天から人界に降臨し、この崖上に城塞を構え住んで、アイヌ文化の基を開いた聖地と伝えられている所で、Okikurmi が、人間界を去った後にも、その城址には留守を守る Chash-punki (<城の番人) がいるので、その神に対して、献酒遥拝するのだと云う。
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引用文献
- 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』「戊午第四十巻 東部 沙留誌 弐」
- 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中巻』, 北海道出版企画センター, 1985. pp.669-702.
- 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
- 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956.
- 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263
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