Up | 「アイヌヘイト」: はじめに | 作成: 2117-01-22 更新: 2117-01-22 |
「アイヌ特権」──行政の "アイヌ" 特待施策──に対するヘイトである。 これは,"アイヌ" 優遇措置に対する<ひがみ>である。 よって,"アイヌ" 優遇措置をひがむことになる者が,「アイヌヘイト」の主体である。 どのような者が,"アイヌ" 優遇措置をひがむことになる者か? 自分は行政からかまってもらえない──冷遇されている──と思っている者たちである。
"アイヌ" が,
政治が,この要求に応じる。 要求に応じるその形は,「公共事業」である。 この公共事業を狙って利権グループが形成される。 このしくみに対し,若い生活困窮世代は,<ひがみ>の感情をもつ。 さらに,「ふざけんな!」の声を外に発信する者が,現れる。 (いまはネットがあるので,これができる。) しかし,如何せん,教養が無い。 ものの言い方を知らず,「ヘイトスピーチ」を表現にしてしまう。 "アイヌ" からは「アイヌ差別」と攻撃され,マスコミからは「人間のくず」扱いされる。 利権グループやこれと結託している政治家は,利権構造がばれては困る者たちである。 彼らは,「アイヌ差別」「人間のくず」キャンペーンを,幸いとする。 これが,ヘイト感情にさらに油を注ぐ。 貧しさそのものは,人に殺人を犯させない。 貧しさが人に殺人を犯させるときは,<ひがみ>が間にはさまる。 民族抗争,エスノサイド,内戦は,つねに《<ひがみ>が殺人を犯させる》である:
その「援助」は,「国の代表」を任ずるグループに,届けられる。 彼らは,この「援助」を私物化する。 これに対し,他の者がひがむ。 こうして,抗議行動が起こり,これに対し鎮圧が行われ,衝突のエスカレートの螺旋運動に入り,内戦になり,虐殺が繰り広げられる。 「ヘイトスピーチ」は,「アイヌ利権」の鏡である。 「ヘイトスピーチ」を「人間のくず」と断ずるときは,「アイヌ利権」を「人間のくず」と断ずるのでなければならない。 「アイヌ利権」を「これの理を見るべし」とするときは,「ヘイトスピーチ」を「これの理を見るべし」としなければならない。 しかし,この論を立てる者はいない。 ひとは,正義キャンペーンには,係わるまいとする。 面倒臭い状況を招くのが,おちだからである。 そして,正義に異論を立てるのには,技術が要る。 「この論を立てる者はいない」と言ったが,まれに出てくる。 「アイヌ学者」では,河野本道がいる。 思想家だと,なんといっても吉本隆明である。 吉本隆明は,人権イデオロギーを敵と定めた。 実際,人権イデオロギーの者は,みな,吉本隆明が嫌いである。 吉本隆明は,社会の<最悪>を,人権イデオロギーに見た。 「ヘイトスピーチ」は,人権イデオロギーの虚構の直感・直観である。 両者は,本質のところでは通底する。 違うのは,アタマである。 「アイヌヘイト」は,「アイヌ利権」の直感・直観である。 「アイヌ利権」の直感・直観が,「アイヌヘイト」である。 「アイヌヘイト」は,「人間のくず」で片付けてしまってはならない問題である。 この問題には,重要な<理>が含まれている。 「アイヌヘイト」は,まっとうに主題化すべき論題である。 こうしてここに,「アイヌヘイト」の立論を開始する。 |