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Siebold (1881), p.47
小屋の中では、すべての物が煙で黒くなっている。
そのことは別としても、全体がかなり不潔であるため、特に天気が悪く、すべての窓を筵で覆っている時には、小屋の中に居ることが非常に不快となる。
また、どんな温度でも構わずに滞在する「小さな跳ねる住民」のノミはいつもいるが、暖かい季節には、類が友を呼ぶように、蚊やヤスデなどの煩わしい虫も家につく。
しかし、(これらに非常に悩ませられる乳飲み子を別とすれば) 親切な母なる自然は、これらに対してアイヌをまったく無反応にさせてくれたようである。
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Batchelor (1901)
pp.117,118
住む上には、小屋はもっとも快適な場所ではない。というのは、われわれの考えによると、この人種では、家の快
適さは、まったく二次的に考慮すべき事柄だからである。もし人々が辛うじて生きられ、動物性の栄養物を手に入れ
ることができるならば、彼らは満足である。
彼らの村は遠方から見ると、実際まったく絵のように美しい。
‥‥‥
しかし絵のような光景と美しさは、近づいてよく見ると、消え去る。
二、二一週か、二、三か月──二、二百か、二、二一分でも十分だと言う人もいる──それらの小屋の一つで過ごすと、日本の宿屋もそれに比べると、快適さの点では、天国のように思える。
小屋は頑丈に作られていないので、小屋を吹き抜ける風は、ときにランプかロウソクの光をともし続けることができないくらいの速きである。
あるとき、私はロウソクを消さないようにしようとして、四方にむしろ(マット)をぶら下げた。しかし私の努刀はすべてむだだった。
早く寝る以外、それに対してなすすべがなかった。
私の寝台はいくらか堅かった。
というのは、それはただの板でできていたからである。
板の寝台の十工な難点は、冬にはその板がなんら熱を出さないように思えることである。
そこで、私は動物のなめしてない墜く乾いた毛皮と湯タンポで体を温め続けねばならなかった。
というのは、アイヌの小屋は、冬には非常に寒いからである。
さらに干物の魚──そのなかには腐って屋根からぶら下がっていたものもあった──は、おいしそうな匂いを出すやところでなかった。
煙もまた非常に迷惑なもので、日を刺激して、涙を流させた。
ある地方の小屋は、夏には、カブト虫、ハサミ虫、およびその他のいやな見虫で一杯である。
へビは、ネズミやツバメの巣を求めて、わら葺き屋根を訪れる。
ノミは昆虫のなかでもっとも厄介なもので、白人の血を特に好むらしい。
あるとき、私は朝起きたとき、私の体が刺し傷で一面に覆われているのを発見した。
しかし奇妙なことをいうが、その晩以降、ノミは私になんら跡を残すことができなかった。
アイヌの国を旅しようと思う人は、大量の殺虫剤をもって行くべきだ。
p.122
煙突はないが、煙を山すために屋根の一つの斜面か、両斜面に一つの穴がわざと残されている。これらは二つの窓
とともに、すべての実川的な口的としては完全に十分だとみられている。しかし煙は目と喉をときに非常に刺激する。
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Bird (1880), p.133
家[チセ] にも蚤[タイキ] がうようよいる。
だが、日本の〈宿屋〉ほどにはひどくない。
そして山間[内陸] の集落[コタン] は見かけ上は実に清潔で、[本州の村とは違って] 塵芥が散らかったり山積みになっておらず、肥溜もない。
乱雑さは皆無である。
悪臭も家の内外を問わずまったくない。
家の通気性がよく、煙で燻され、塩漬けの魚や肉は足高倉[プ] で保管されているからである。
ただ、本来なら雪のように白いはずの老人たちの髪の毛と顎髭は、煙と汚れのために黄ばんでいる。
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- 引用・参考文献
- Bird, Isabella (1880) : Unbeaten Tracks in Japan.
金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
- Siebold, Heinrich (1881) : Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel Yesso.
原田信男他 訳注『小シーボルト蝦夷見聞記』(東洋文庫597), 平凡社, 1996
- Batchelor, John (1901) : The Ainu and Their Folk-Lore.
安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995
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