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武藤勘蔵 (1798), pp.15,16.
海上松前領はなれ候邊へ、蝦夷人船にて出迎へたる躰、乞食の鐘馗の如くにて、見馴ざるうちは、氣味わるきさまなり。
乙名 村役人の類なり 脇乙名、小使已上三役の夷人共船中に並居、鬚を撫卸し、禮儀を述ぶ。
夫よりクドウ場所へ着、此度の上陸を、夷人男女にて六、七十人も並居て見物す。‥‥‥
夷人の前を通る時はよほどえぞくさく、鼻を抓む程なり。
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兒山紀成 (1798), p.54
島人魚奉らんと、小舟とり/\漕出て御船にまゐる。
これかかたちを見れば、人には有なから、あやしき事限なし。
かしらはおとろのことくみたれ、眉のへた[隔]てもなくて、顔いとおそろしけなるに、さかひげいときたなくは[生]えふた[塞]かりて、たゝ[只]め[目]はかりそみえける。
手もあしも、熊のやうなる毛生たるに、あつしと云木の皮衣きたるもあり、獣の皮きたるもあり、
ものいふいきさへなまくさくて、まほには打も向ひ難し。
蝦夷言しれるをのこにとへば、御船のつゝがなくきにけるを祝ひ奉るよろこび言なりけり。
みき給はりければ、限りなく悦ひあへるさまにて、又あやし。
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- 引用・ 参考文献
- 武藤勘蔵 (1798) :『蝦夷日記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.13-21.
- 兒山紀成 (1798) :『蝦夷日記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.45-75.
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