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高倉新一郎 (1974), pp.213-216
臍帯は小刀で切り、切り口はきわだ [キハダ] の粉をつけて血止めにした。‥‥
赤子の産湯は必ず使わせるというものではなく、プクサ等で洗った。
悪霊よけだったと思われる。
無事に出産がすむと神にこれを報告し、感謝し、子どもの守り神の幣を、宝壇の前の家族の守り神を祭った場所に立てる。‥‥
生まれた子は家族の着古した衣服にくるんで育てる。
相当に生長するまで衣服は作らない。
‥‥
小児はほとんど裸で育てられる。
もし着物を作っても帯はしめず、大人の着物に肩揚げや、腰揚げなどをして用いる。
袖口・裾襟には黒布をつける。
魔よけであろう。
子を負う時には背へじかに裸のまま入れて背負い、負い縄に棒を結びつけ、これで子を支え、物を負う時と同様荷縄を額にかける。‥‥
また本州の麺類の入れ物のようなシンタ (揺り寵) があり、これに子どもをしばりつけ、四隅の綱で木などに吊るして、時々網を引いてゆすってあやす。
‥‥
命名は近親者と同名であったり死人と同じ名を忌む。
その子の特徴をあらわし、縁起のいい名を選ぶ。
時には名付け親を選んでつけてもらうこともあり、名付け親とは親子の礼をとった。
縁起のいい名といっても、必ずしも美しい名ではなく、あまりいい名は悪霊に魅入られるとし、シ (糞) とかツル (垢) といった音がついている者が多くいた。
幼い中はなめるようにかわいがって育てるが、成長すると男は父、女は母の手伝いなどをさせながら、しだいに生活の知識を修得させてゆく。
‥‥
子どもは最初、生まれて四〜五か月もすると一部の毛を残して髪を剃ってしまう。
残す所は頂上・両耳の辺・額・後頭部などの部分である。
そして七〜八歳になると男女とも髪をのばしておかっぱにする。
幼児から少年になるのである。
十五歳ごろになると男女ともに一人前になって頭を大人並にする。
すなわち男子は前髪と後の首筋・襟元を少し剃り去り、あとを長く揃えて切る。
女子は前を左右に分け、後ろは少し短くそって襟までとし、左右は肩にたらす。
この時衣服も大人の衣服になり、男子は褌を、婦女子はモウルを着る。
それとともに婦女子には入れ墨をする。
十三歳位になるとぽつぽつ始め、最初は上唇の上にほんのぽっちりし、次にだんだんと広げ、十五〜十六歳に至って完成する。
また母から貞操帯と呼ばれるラウンクツ (ウプソロ) をしめてもらう。
こうして男はやがて鬚をたくわえ、重大な祭りに参加が許されるようになる。
ただ成人式と呼ばれるようなやかましい儀式はなかった。
男は猟、婦女子は刺繍などをしてその腕前を見てもらう必要はあったようである。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1974) :『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
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