Up コタン員後継問題──平取町二風谷の場合 作成: 2019-10-03
更新: 2019-10-03


    二風谷は,「そこに行けばアイヌがいる──アイヌの生活がある」という観光サイトになった。
    これは,「ここにはアイヌの生活が継承されている」を自らほのめかし,PR してきた成果である。
    このようなサイトは,二風谷が唯一である。
    「アイヌ訪問」を内容とする TV 番組の取材先はきまって二風谷になるが,それはこの類のサイトが他には無いからである。

    北海道観光にとって,二風谷がこの役回りから降りるようなことはあってはならない。
    こうして二風谷は,この役回りを宿命づけられる。


      平取町 (2019), p.12
     二風谷地区のアイヌ伝統的工芸技術は、高い評価を得て現在も受け継がれておりますが、伝統工芸家は減少し、後継者の育成が喫緊の課題となっています。

    二風谷の場合,もし後継者問題を立てるとするなら,それはこれではない。
    "アイヌ"住民の保持が,ほんとうの問題である。
    繰り返すが,北海道観光における二風谷の意義は,「そこに行けばアイヌがいる──アイヌの生活がある」──「アイヌコタン」──である。

    住人の出入り,世代交代がある中で,"アイヌ"住民が保たれねばならないわけである。
    ここで "アイヌ"住民の条件は,つぎの二つが合わさる:
    1. 「アイヌの血統」を自分のアイデンティティとして積極的にデモンストレーションする
    2. 「アイヌの生業」の諸技能を身につけている


    この後継者づくりは,危うい。
    "アイヌ"住民になるということは,一生ものである。
    一方,観光は,流行りのもの (バブル) である。

    "アイヌ"住民のアイデンティティを保つのも,難しい。
    「アイヌの血統」なぞ,世代交代の進行のなかで無意味化するものである。
    別血統者との結婚と人の移動 (拡散と混淆) が相伴って進行するからである。


    旗を振るのは,簡単である。 ──そして旗を振る者は,もともと「自分は旗を振る人」("If I build it, they will come." ) を決め込む体質の者である。
    しかしその旗振りは,たいてい一時の勘違いがさせるものである。
    早晩,旗を降ろさねばならない状況になる。
    難しいのは,この<旗を降ろす>の方である。

    実際,旗を振った者は,この間,旗下に参じてきた者たちを背負い込んでいる。
    旗下に参じてきた者たちは,旗を振った者におんぶすることを自分の生き方にするようになっている。
    みなが既に自分を引っ込みのつかない(てい)にしてしまっている。
    かくして旗が降ろされることはなく,惰性が続けられることになる。


    ちなみに,「コタン」を続ける方法は,「企業」しかない。
    人材の問題は,コタン員を外部人材で充填することがソルーションになるのみである。
    実際,コタン保持の問題構造は,いまの日本の「外国人労働者の活用」と同じである。