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金田一京助 (1932), pp.468-471
‥‥本州の蝦夷の内、北端の奥州の蝦夷は、外が浜反ぴ奥南部の岡名部、北郡半島の地に、極めて近い代までその余蘖が残ってゐたことである。
その事は天明寛政頃の處士や幕吏の蝦夷へ赴く人々が、それらに逢って、その日記や紀行に判然と書いてゐるのである。
その後こゝに遊んだ菅江真澄が、遊覧記『率土の濱づたひ』に、はっきりと斯う書き伝へてくれた。
『此の浦はもと蝦夷の末ながら、物の云ひ樣異浦にことならず、近き昔とやらんに鬚剃り、頭をそりて、女も文身ならで、そのけちめなし。浦のをさ四郎三郎といふがもとに宿かる』とて、『猶ありたりし袰月の弊岐利婆が末の子を又右衛門といひ、松ヶ崎の加布多以武その末を今は治郎兵衛といひ、藤島の牟左訶以武いまその末は清八とひ、宇氐道の久麽他可以武の末なるこの宿の主の四郎三郎なり云々』と,明僚に貴重な記録を留めて置いて呉れたのである.
やゝ遅れて蝦夷へ渡った村上島之丞 (泰檍丸) は、その著『陸羽州驛路圖』の字鐵村の條に、
『字鐵村は宝暦年間まで蝦夷の容貌なり。酋長をクマタカアイノ・フルフクイン・ウテレキ・セキレバ・ルウマンアイノ・ソタツイン・タマカイなんどといへる名にてありしが今服従せり』と註してゐる。
中道氏の『津軽舊事談』所引津軽藩廳日記抄出、延寶五年三月八日の條に,またこの人人の名が出て来る。
そして次の様に書いてゐる。
今別かぶたいん、るてるけ、ゆきたいん、へきりば御台所迄串貝五連、蚫三十、榮螺四十差上之儀、入御耳之所、於御書院御白沙,右狄共四人御覧被遊、秋元金左衛門共召連罷出、右四人の狄共に御米貳俵宛遣之、
即ち前にあげた袰月の弊岐利婆及ぴ松ケ崎の加布多以武である。
るてるけは多分、檍丸のウテレキと同じであるかも知れない。
Uterke「跳躍」、Oterke「蹂躪」などは、子供の時にする動作・特徴などから、その名が選まれるから、アイヌ男子の名として何れも極めて有りがちな語である。
そして宝暦の蝦夷改風は津軽舊事談に拠れば、その六年のことであって、それは津軽藩の俊傑乳井貢の英断の結果だった様である。
『宝暦六年九月朔日、乳井貢御用に付廻郷云々、此時外濱宇鐵邊に居る狄どもを皆々人間に取立、髭剃、鬢立させ、女狄は髪結せ、歯染させ、戸數人別帳へ入宗旨改め、寺持たせ候間、狄とも寔にありがたきと、乳井を佛様のやうに覚候』(工藤家記)
この所謂『狄』がアイヌであった証拠は、海の彼方のアイヌと同様に、往々何々アイヌといふ名をもってゐる事である。
北海道樺太を通じて、男子は何々アイヌ、女子は何々マッと名づけること、さながら、日本の昔の何々彦、何々姫のやうな定まりがあるものであって. 中には、ウテレキだのヘキリパの様に、アイヌが附かない名もあるが、それさへも、本式に改まっていふ時にはやはり附けて呼ぷ習慣である。
この語尾のアイヌは、何々彦・何々麻呂といふが如く、いはば男子の通名の常型であるから、松前家の古文書に出て来る程の酋長名には沢山見えて居る。
尤も語尾であるものだから往々たゞアインとしか聞えないので、屢ゝアインと書かれる。
例へば津軽一統志の記録した酋長名、尻岸内のヤクモタイン、汐タピ崎のヲヤワイン、鷲別のマケジャイン、厚岸のヲクマカイン、国尻のトノムシャイン、宗谷のシカヘタイン、天鹽のトミウヘワイン等々。
また「御領内の狄の覚」と題して外が濱の狄四十二軒を挙げた中にも、大方は已に日本名になって奥
平部村の与四郎、松ケ蛸村の林藏、藤崎村の萬五郎、砂ケ森村の作十郎、小市郎. 宇銭村の四郎三郎などなってゐる中に、向袰月村のイホカイ、小泊村のイソタイヌ,及び釜の澤村のマコラ犬の名が見えてゐる。
寛文九年の北海道蝦夷争乱に、この津軽の狄たちは、飛脚船に雇用されてゐる。
その折の記録に、
と題して、藤崎村の萬五郎は、萬五郎犬、松ヶ崎の林藏も林藏犬、四郎三郎も四郎三郎犬と書かれ、前掲釜の澤のマコラ犬は萬五郎逢犬と書かれてゐる。
改まった公式の場合故に、一同みな、語尾へアイヌを添へて書き上げられてゐるのである。
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要旨の箇所を再度引く:
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男子は何々アイヌ、女子は何々マッと名づけること、さながら、日本の昔の何々彦、何々姫のやうな定まりがあるものであって. 中には、ウテレキだのヘキリパの様に、アイヌが附かない名もあるが、それさへも、本式に改まっていふ時にはやはり附けて呼ぷ習慣である。
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かくして,「アイヌ」は,性別の「男」を示す語ということになる。
「アイヌ」は, 「世界」の中の「人」の意味でも使われる。
この用法は,転化用法ということになる:男 → 人。
これは,英語の "man" と同じである。
「人」は「われら」に通じる:人 → われら。
そこで, 「アイヌ」は,和人に対し自分たちを指すことばにもなる。
「男」と「人」 の意味転化の順序は,男 → 人 であって,人 → 男 ではない。
「人」 概念の形成は,「世界・人類」幻想──アニミズム的神話世界の幻想──の形成と同じである。
「男」概念の形成は, 「世界・人類」幻想の形成まで待つわけにはいかない。
- 引用文献
- 金田一京助 (1932) :「北奥地名考──奥羽の地名から観た本州蝦夷語の研究」
『東洋語学の研究 金澤博士還暦記念』, 三省堂, pp.459-551.
国立国会図書館デジタルコレクション :
https://dl.ndl.go.jp/pid/1126174/1/237
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