Up | 「共通の先祖」 | 作成: 2017-03-28 更新: 2020-05-26 |
ひとは,このことばを自明のように受け取る。 しかしこのことばは,いかようにも定義できるものである。 ひとがふつう,「先祖」を男系ないし母系で想う。 この場合は,つぎが「共通先祖」の絵になる:
女系で考えたときの共通先祖 (女)
遡行は,<男親への経路と女親への経路の両方をとり混ぜて遡行>である。 ──そしてこのときの共通先祖は,男女いずれかの個体ではなく,一つの男女カップル (「アダムとイヴ」) になる。 しかし,<男親への経路と女親への経路の両方をとり混ぜて遡行>では,一般に共通先祖は一つに定まらない。 つぎは,最も簡単な場合である: まだ問題がある。 「複数個体の共通先祖」を想うときの複数個体は,「同種の複数個体」で考えられている。 この「同種の複数個体」の「同種」の意味が,そもそも定まらないのである。 ──この問題の方が,根本的である。 複数個体が同一種であるとは,どういうことか? 種の根拠にできるものは,現代では DNA である。 「同一種」の判定になる決定的な DNA 構造があるということである。 そこで先祖遡行は,<男親への経路と女親への経路の両方を使いつつ,この決定的な DNA 構造の所有者を遡行する>というものになる。 この遡行は,とうてい成るものではない。 ただのことばである。 それでも仮にこれがゴールの一個体に至ったとしよう。 このとき,遡行経路からの分枝の格好になる無数の配偶者個体は,極端なことを言えば「異種」でもかまわないことになる。 話がひどくこんがらがってきた。 実際,話は循環しているのである。 「同一種」は,「共通祖先」によって定義される。 しかし「共通祖先」の遡行は,「同一種」が出発点になる。 「複数個体の共通先祖」の概念は,論理的には立たない。 論理的に立たないとは,幻想だということである。 |