Up 5月1日 作成: 2024-12-07
更新: 2024-12-09




      『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). p.35
    水くみ帰る女に行末をとへば、ねもごろにをしへ、しばし入りてなど、ヌべ(おおしゅろそう)てふ草の根をアヰノにならひしとて、火にくゆらせてすゝむ。
     ‥‥‥
    保呂(幌)島、曾以(添)泊、不毛地(ウェンコタン)(上古丹)にいたり、
     〔 天註──和人ウエコタンといひ蝦夷人ウェンコタンといふ。 なべて、よからぬところをさしていふ〕
    無水(シツナシ)といふ崎の、巌のこゝらたちたる処をたどるたどる、こゝより宇多づたひにゆけと、浦人のみちをしへたり。
    宇多とは、なべて、崎より磯つづきたるをもはらいひて、奥の海のところどころに、いと多くぞありける。
    小宇多、阿登呂志(アトロシ)をへて久度(クド)布(久遠)になりて、運上家のぬし厚谷、下国などいふ人々とかたらひて宿る。