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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.41
弓をかしらにかけ、こもつゝみのおもげなるに毒箭医をそへて、おひもたるアヰノの行を、さちなるあない、あらくまのおそれもあらじ。
かれに行末をとへば、
まづ寄木宇多、カイドロマ(貝取澗)、イシカイドロマ、キシノワシリ、チラチラ、あなま、ニビシナヰ,ふやげま、たきのま、タンネヒラ、ポンナイ、でけま、セキナヰ(関内)、くろワシリ、まるやま(丸山)、ビンノマ(便澗)、ポロモヰ、はたけなか(畑中)、熊石(久遠郡大成村より爾志郡熊石町熊石までの海岩集落)
と手ををりをり、シャモこと葉かよふアヰノのかたりもて浜路をゆき、
いはむらをわたり谷にくだり、たかねをわくれば桜咲たり。
‥‥‥
セキナヰの山河わたりて熊石になりぬ。
磯辺に鳴神の祠あり。
毗沙門天王の堂あるあたりに在る立石のすがたの、雲のわきづるに似たれば、浦の名をもて雲石といふがうべならんといふ人のあれど、蝦夷こと葉のはかせ(博士)は、クマウシてふアヰノの言とぞいへる。
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