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『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.56-58
ひるつかたに、やどをたちいづ。
山みちは遠う暑く、浜路は近う涼しといへば、
磯づたびしてゆきゆき、多氐といふいそべたにふりあふぎ見れば、
はたひろ(二十尋)ばかり高う、壁のごとくそばだてるところあり。
如月のころ土しみ氷りて、小石、岩などの砕けおちて、身をくだいて死もの、数しらずとて、その頃は行かひもなう、いまも雨ふり風吹ときは、山路行べしと人のいへり。
けふは、さるけしきもあらねばとて行かふ人あふぎもて、おちつもりたる石のなかをふみわけて、
たどるたどる会泊といふ処に来て、
あき(商)人の家に休らへば、
あなあつあつとて、のまてふ莚に、ものつゝみおひたるをなげおろし、アツシのかたぬぎ、なげ足に、しりうたげして酒のみぬ。
いづこへといへば、近きまで鯡小屋にありたりしかど、網子別して帰るとて、わがせしとせしことのみ、かたりつゝのみぬ。
そのことをとへば、開たまへよ申さん。
ことしも、にゐまゐり(新参)の鯡とり,つがろ(津軽)ぢより来るが、
魚壺とて、とり得し鯡を、砂のうちにほりうづみおくことのさぶらふ。
そのずち(術)のわざにかゝりて、ろうかとて、かりやのあるよりいでくとて、此鯡を狐やほりくらはんと、なにごころもなういひあやまつを、
こはいみ辞おかしたり、くはや、ことをしいだしたるとて、
このにゐまゐりひとりを、あと網といふものにつゝみて、あら洲のうへを引ありき、潮をくみてそゝぎかけかけねりありき、
あまたにはやされてひかれひかれ、ありくに、気もこゝろもなう、なくなくうちわぶれど、耳にもきゝれずなげてうし、
はてはては海にうちはめられて、いのちしなぬばかりなりし。
としどし、鯡揚に行なれたるものすら、まゝわすれなどしては、このことをいひおかしさぶらへ。
又さもあらでも、海にしほふくはなにぞや、山に角生ひあるものはいかに、草むらにをるものはなどいひもて、このことをいひあやまたせんとては、壮夫どもらがなぐさみとすれば、にゐまゐりのものは、などかはいはざらん。
この鯡揚ほど、にぎはゝしう、たのしきことはあらねど、ことしのやうに鯡の群来ざることは、もゝとせへぬる老翁さへしらざるよしとて、さかしろ投てあぐらよりたてば、
いざなひつれて路しばし来て、綱ふねひきわたり乙部にいたる。
ヲトベとは、アヰノがおもねりたゞしうものいふときに、尻とぞいふなること葉にして、これをひらこと葉には、ヲシヨロとはいふとなん。
此ヲトベの湾鼻といふ処に宿かりで、
中垣のとに、ふるく大なる屋のあばれたるがあれば、
垣ねなる つぼなまじりに つみしその すみれも見えず しげる夏くさ
鯡の子のあはせ(副食物)に、さんぺ(三平)といふものして、ものくへとすLむ。
箸は左にものしてけり。
なべて、このあたりの浦人のくせとて、左箸は、ならはしのやうにおきぬ。
サンペ汁、あるはマクリ汁、カボシ汁とて、しなじなの魚汁をつねに、もはらものせり。
夜くだち人さだまる頃、不如皈(ほととぎす)の二三声名のりたり。
このとし聞しもはじめなれば、猶きかまく枕をそばだてて、
ゑぞの海の ふかき衣かけて ほととぎす 波の千里を たちかへりなく
夜はしらみたり。
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