Up 5月26日 作成: 2024-12-08
更新: 2024-12-09




      『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.56-58
    ひるつかたに、やどをたちいづ。 山みちは遠う暑く、浜路は近う涼しといへば、 磯づたびしてゆきゆき、多氐(タテ)といふいそべたにふりあふぎ見れば、 はたひろ(二十尋)ばかり高う、壁のごとくそばだてるところあり。 如月のころ土しみ氷りて、小石、岩などの砕けおちて、身をくだいて死もの、数しらずとて、その頃は行かひもなう、いまも雨ふり風吹ときは、山路行べしと人のいへり。
    けふは、さるけしきもあらねばとて行かふ人あふぎもて、おちつもりたる石のなかをふみわけて、 たどるたどる会泊といふ処に来て、 あき(商)人の家に休らへば、
    あなあつあつとて、のまてふ莚に、ものつゝみおひたるをなげおろし、アツシのかたぬぎ、なげ足に、しりうたげして酒のみぬ。
    いづこへといへば、近きまで鯡小屋にありたりしかど、網子別(アゴワカレ)して帰るとて、わがせしとせしことのみ、かたりつゝのみぬ。 そのことをとへば、開たまへよ申さん。
    ことしも、にゐまゐり(新参)の鯡とり,つがろ(津軽)ぢより来るが、 魚壺(ナツボ)とて、とり得し鯡を、砂のうちにほりうづみおくことのさぶらふ。 そのずち(術)のわざにかゝりて、ろうかとて、かりやのあるよりいでくとて、此鯡を狐やほりくらはんと、なにごころもなういひあやまつを、 こはいみ辞おかしたり、くはや、ことをしいだしたるとて、 このにゐまゐりひとりを、あと網といふものにつゝみて、あら洲のうへを引ありき、潮をくみてそゝぎかけかけねりありき、 あまたにはやされてひかれひかれ、ありくに、気もこゝろもなう、なくなくうちわぶれど、耳にもきゝれずなげてうし、 はてはては海にうちはめられて、いのちしなぬばかりなりし。
    としどし、鯡揚に行なれたるものすら、まゝわすれなどしては、このことをいひおかしさぶらへ。 又さもあらでも、海にしほふくはなにぞや、山に角生ひあるものはいかに、草むらにをるものはなどいひもて、このことをいひあやまたせんとては、壮夫(ワカゼ)どもらがなぐさみとすれば、にゐまゐりのものは、などかはいはざらん。
    この鯡揚ほど、にぎはゝしう、たのしきことはあらねど、ことしのやうに鯡の群来ざることは、もゝとせへぬる老翁(オンコ)さへしらざるよしとて、さかしろ投てあぐらよりたてば、 いざなひつれて路しばし来て、綱ふねひきわたり乙部にいたる。
    ヲトベとは、アヰノがおもねりたゞしうものいふときに、尻とぞいふなること葉にして、これをひらこと葉には、ヲシヨロとはいふとなん。
    此ヲトベの湾鼻といふ処に宿かりで、 中垣のとに、ふるく大なる屋のあばれたるがあれば、
     垣ねなる つぼなまじりに つみしその すみれも見えず しげる夏くさ
    鯡の子のあはせ(副食物)に、さんぺ(三平)といふものして、ものくへとすLむ。 箸は左にものしてけり。 なべて、このあたりの浦人のくせとて、左箸は、ならはしのやうにおきぬ。 サンペ汁、あるはマクリ汁、カボシ汁とて、しなじなの魚汁をつねに、もはらものせり。
    夜くだち人さだまる頃、不如皈(ほととぎす)の二三声名のりたり。 このとし聞しもはじめなれば、猶きかまく枕をそばだてて、
      ゑぞの海の ふかき衣かけて ほととぎす 波の千里を たちかへりなく
    夜はしらみたり。