Up 5月 29日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-01







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.512-515
    チユツフシャクベツちふ流のあり。
     〔 天註──舟をチイツフといひ魚をチユツフといふイタク也。
    チユツフシャクベツとは魚の夏川といふイタクにして、夏の魚漁る川の名にてや。
    遠きうらわに夏浦(シャクコタン)とて斑竹をいだせるところあり。
    鱒のあびきして夏のみに在る名也。
    シャモ是をシャコタンといふ、
    おなじこゝろぱへ也〕
     ‥‥‥
    こゝにイタンギという(コタン)の名あり。
     〔 天註──イタンギは椀をいひ,シュマイタンギとは茶碗をいうとなん。)
    そのいにしへ,源九郎義経の水むすひ給ひし器の,浪のとりて,こゝに打よせてけるゆへを語れり・
    イタンギとは飯椀をいふなり。
    判官義経の公をアヰノども,ヲキクルミとて,いまの世までもいやしかしこみ尊めり。
    あるはいふ,(アヰノ)の,判官とておそれかしこみて(カムヰ)といたゞきまつるは,小山悪四郞判官隆政と聞へたりし人,蝦夷の國の戦ひに鬼神のふるまひをなして,いさをしすくなからじ。
    小山統の家には巴の(かた)を付てければ,巴を蝦夷(アヰノ)判官(オキクロ)のみしるしとて,かれにもこれにも彫て,身のたからといふいはれしかしか。
    (小山四郞判官隆政は下野大掾義政の子たり。小山の家なる自標は雙頭の巴形なり,さりければ蝦夷の國に巴をめて貴めり。是をなにくれの調度に刻て家の護りとす。蝦夷は巴をたふとむと,いやしくもおもひ,此島へ渡す具ともに何のわいためなう三頭の巴を標してわたせば,蝦夷人これを見て,をのがもてる具ともに三巴を彫てけることしかり。)
    源九郎義経の,ゆめ此嶋へ渡給ひしよしのあらざめれど,義経の高き御名をかりにかゝやかして,蝦夷人らををひやかしたる,名もなき,ひたかぶとのものゝ,をこなるふるまひにてやあらんかし。
    おもふに小山判官と九郎判官と,蝦夷人か,うちまどへるにや。
    西の浦江差の磯邊に,小山の観音とて,その菩薩の同を社に作りて,隆政のはぎまきをひめ齋るよし。
    うへも,悪四郞のその勲功そしられたる。
    (江差の湊にいと近き小山観音といふは,あらはゞきの神也。四郞隆政いくさきみとして勳をあらはし,あゆひひのとつおちたりしを,こゝに祭るという。又津刈の郡蒼杜の郷塘川のへたに,九郎義経の片脛□(脛巾,はばき) ここに齋ふ。處をシリベツの林といふ。又三河の國刀鹿の社のほとりにも,あらはゞきの神といふかみ社のあり。おなし神のところところに聞へ奉るものか。)
    さはいへど源の九郎義経この嶋渡したまひしとは,むかしいまの世かけて,もろこし人までもすてに知れりなど人もはらいひわたれば,さるゆへもあらんか。
    伊達治郎泰衡,人目は義経にそむき奉りしこゝろにてやありつらんかし,此君の行衛をしたひ奉り,はるはると贄の柵までのがれ来て,ほゐなう河田にうたれたりしと。
    秀衡いまはとなりて義経の君を枕上にすへて,錦の袋を,なとき給ひと,世にものうき時は此ひもときて,いかにもなり給ふべし。
    蝦夷の千嶋へも渡りおはしたまへということを,帒の中の(ふみ)に,ねもころにかい聞へたりしといふ,みちのく物語もありけり。
     ‥‥
    此コタンのアヰノの舟にこぎ送られて,‥‥
    阿袁といふ魚 [アオザメ (地方名アオ)?] の,あら波をしのぎあまたむれ行を,舳なるアヰノ,くはやとてしらすれば,(カンヂ)を捨てハナリをとり立ねらひ,ひとりにこぎまかせ,やといひてうちやれど,それ行てたゝさりければ,舟なかに足ぶみをしてウコラモコラといふは,あなくちをしと,いひはらだつこととなん。
    舳艗 (へさき) にみな投足をして、うしろざまにのみ榜ぎ行ほどに、車縬(カンジ)捨て衣ぬぎ、汐に、づぶ’りと潜り海栗(ノナ)多くかゝへてあがり〔天註──ノナは、なによけんと唄ふその一くさにして、閩書にいふ海胆、あるはいふ海胆、霊蠃子のことなり。加世、亦は坊主加世のふたくさぞありける〕、石につき砕て、これ(エベ)とて、ひとりにも進めくひて休らい搒づれば,ウムシャ泊まりとて,三ッの石、磯もとに立ぬ。
     ‥‥
    又見べき処のありといへば舟寄ていたれば、岩穴(ポヲロ)といひて、ひろきいはやどのあり。
    こぐまりて入ば内問広く、ニヰガリを、おりのぼりして出て坂越れば、草むらに舟つけて待ぬ。
     〔 天註──階子をニヰ (ガ=脱) リといふ。
    金坑の鋪階子(ハシゴ)、或いふ出羽の奥山郷にこれを雁木胡梯(ハシゴ)といふものにして、たゞ柱に足段のあるのみ〕
    岩穴(ポヲル)のほとりのコタンに瞿麥の原あり
     見へき處也」

    高草の中にアヰノの館舎(チセヰ)のあり。
    あまた、まどゐして酒のみ唄ひ、とに、あやむしろを婦人(メノコ)の織れり。
    この莚は蒲の葉に木の皮、かづらの皮など文(アヤ)に染まぜて、いづこのコタンにても編みつ。
    それらが生る男童(ヘカチ)女童(カナチ)が歌うたひ、軒のした草に咲まぜたる撫子を折りもて、戯れてあそぶ。