Up 6月2日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-01







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.531-534
    鳥井が崎(鳥崎)とてアヰノの(チセヰ)ありて、そこに籬堆(ツセヰ)とて、(チヲマンデ)(シクマ)の(シヤバ)のあめ露に晒たるを、またぶりのごときうれにさして,ヰナヲとりかけさしつかね、小竹(シノ)の葉をつかねゆひそへ軒近う立て、神霊(カムヰ)とてこれを斎(マツ)る。
    此ツセヰは、とみうどの門のしるしとなん。
    蝦夷舎村(アヰノコタン)木棹(ヲツフ)をよこたふ
     叉に木葉さし生ひて 軒端の林をなせり
     籬堆(ツセヰ)には(チラマンデ)の靈を祭る
     圍柵にはチラマンデを養ふ」


    海べたにかたぬきたるアヰノの、毛は蓑着たらんがごとくむくむくと生ひたるが、オツプとて木の棹を、ピルガネとて真鉋(マガチ)もてこれを削り、錐子(エキシヤカニ)おし立て真砂の上に居るは、アヰノのたくみにや。
    「鳥井埼の蝦夷村(コタン)
     飯形の神籬ありて 雞栖あまた並り
     このコタンのアヰノ 木を削り(ヲツフ)とせるのかた」


    森の中に八船豊受姫の洞あれば、鶏栖あまた立かさねて、是を埼の名におへり。
    尚行ほどに小川のへたの白沙の上に、三束のヰナヲさしたり。
    そのゆへをとへば,こゝにアヰノらが神酒宴(カムヰノミ)してけるあととなん。
      蝦夷人のみそぎの解除(はら)ひとくすらし清き河原に木幣(ヌサ)させるは
    石河原といふ磯屋形を過れば鷲の木といふところのありて、‥‥‥
    「石河原といふ處の川へたに
     アヰノとも齋餔(カムヰノミ)して
     木幣(ヰナヲ)」をさいたるかた

     ‥‥‥
      かれが(ヌカ)に十文字の文身(イレズミ)したるは何のしるしにや、いぶかしう人のいへり。
     〔 天註──此嶋ののりとて、罪をかしあるものは軽重をばかり、しもとうちして、つきあざとてぬかに入墨をしてはなちぬ。かゝるものら、あるはこと人、男女、卯辰の飢饉のとき蝦夷にいたりて命たすけられて、そこに住つき、女は夷の妻となり、男は聟(むこ)となりつるなどあり。是うら人、シャモかへりといふ。そのつみ人などのたぐひならんを、あらはにいはで、あやしとのみいふはうべなり〕