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『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.531-534
鳥井が崎(鳥崎)とてアヰノの家ありて、そこに籬堆とて、羆(シクマ)の頭のあめ露に晒たるを、またぶりのごときうれにさして,ヰナヲとりかけさしつかね、小竹(シノ)の葉をつかねゆひそへ軒近う立て、神霊とてこれを斎(マツ)る。
此ツセヰは、とみうどの門のしるしとなん。
「蝦夷舎村に木棹をよこたふ
叉甲に木葉さし生ひて 軒端の林をなせり
乙籬堆には羆の靈を祭る
丙圍柵にはチラマンデを養ふ」
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海べたにかたぬきたるアヰノの、毛は蓑着たらんがごとくむくむくと生ひたるが、オツプとて木の棹を、ピルガネとて真鉋(マガチ)もてこれを削り、錐子おし立て真砂の上に居るは、アヰノのたくみにや。
「鳥井埼の蝦夷村に
飯形の神籬ありて 雞栖あまた並り
このコタンのアヰノ 木を削り棹とせるのかた」
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森の中に八船豊受姫の洞あれば、鶏栖あまた立かさねて、是を埼の名におへり。
尚行ほどに小川のへたの白沙の上に、三束のヰナヲさしたり。
そのゆへをとへば,こゝにアヰノらが神酒宴してけるあととなん。
蝦夷人のみそぎの解除(はら)ひとくすらし清き河原に木幣させるは
石河原といふ磯屋形を過れば鷲の木といふところのありて、‥‥‥
「石河原といふ處の川へたに
アヰノとも齋餔して
木幣」をさいたるかた
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‥‥‥
かれが額に十文字の文身(イレズミ)したるは何のしるしにや、いぶかしう人のいへり。
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天註──此嶋ののりとて、罪をかしあるものは軽重をばかり、しもとうちして、つきあざとてぬかに入墨をしてはなちぬ。かゝるものら、あるはこと人、男女、卯辰の飢饉のとき蝦夷にいたりて命たすけられて、そこに住つき、女は夷の妻となり、男は聟(むこ)となりつるなどあり。是うら人、シャモかへりといふ。そのつみ人などのたぐひならんを、あらはにいはで、あやしとのみいふはうべなり〕
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