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『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.541-547
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ものくひはてて,いさ出たちなんほりに,宿料とてひと夜ねししろ(代)に,あるしのものへ,いろいろ糸に鍼をとりそへてとらすれば,メノコども黄,赤,白,黒の絲,針とて,ラヰクイロシカレといひ,ピルカとなかやかにいひもて,よろこべる色の見ゆ。
この宿を立いつればアヰノどもサランバサランバとシャモ詞にいへば,女子,善去とて手を揚れば,男手をすり手をあげ,髭を撫て別ぬ。
( ‥‥ ラヰクイロシカレとは,これはこれは過分なりといふ意もしか聞へ,さやうなりというこゝろもあり。‥‥ )
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ルクチといふ磯に小川あり。
こゝをシャモの詞に黒岩といひて、おほきやかなる岩あり、このはざまごとにヰナヲさせり。
そのむかし、遠郷咦洲のアヰノども軍徒をいだし、こゝらの船乗来てこのコタンをうちてんとやゝ近づきければ、此ルクチの黒岩の姿の、アヰノあまた屯(たむろ)したると見えたるに、トヰマのアヰノみなをびやかされて、われさきと舟こぎ、にげしぞきたり。
こは此コタンのアヰノを守らせ給ふの石神とて、今の世までもかくいやまひ斎(マツ)りて、ヰナヲを削し奉るとなん。
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天註──石をきしてシユマといふ、石神ちふ詞なりけり〕
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「黒岩」
フヰトシナヰの浜路をゆき、チリンナヰの川渡り、ホロナイのアヰノが栖家に入て、しばしとて休らふ。
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天註──アヰノの詞に、良屋をさしてヤカタといひ、苫屋、丸屋をさしてチセヰといふとなん〕
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広き榻の上に、やゝみそぢ近からんとしの婦女ひとり耳鐶にいろいろの珠玉(タマ)を飾り、頸にもリクトンベとてくさぐさの珠をつらぬき纏ひたるは、遠き神代にいふ、頸(クビ)にうなげるたまてふものも、かゝらんたぐひにや。
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天註──リクチ、ルクチ、みな通ふにや過来しコタンにルクチの名ぞ聞えたる〕
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天註──素戔鳴尊(スサノオノミコト)、以其頸所嬰(ウナゲル)五百箇御統之瓊、なども聞え奉る〕
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この館のくまにはセトフとて、三尺よさかの槌に鉄条をさし入れて、いと重げなるを掛たり。
これなんシャモのいふ槌撃とて、ものあらがひのときは互に心ゆくまでうち撲(ウタ)れては、さばかり、はらぐろにいひはらだちあらがひつる中も、うちなごむならひといふ、其料の調度となん。
又おなじさませし短き槌搥(ツチ)に、木糸巾の布を、ひた巻にまきたるが榻床の下に投棄たるは、わかきアヰノらがつねのいとまあれば、槌搥(ツチウチ)のわざをならはせるの具となん。
棹を梁によこたへて、ちいさき魚の胃にキナボの脞(アブラ)を内れて掛ならべたるは熟菓柿(イロツケルカキ)を梢ながらに見たらんがごとし。
あるじのメノコ床を立、此油をとりおろし、あざらけき魚のつくり肉(シシ)にかけて盤に盈り、あないし来つるアヰノどもが前にすへ、又ことメノコの来るにも進めぬ。
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ふたりさしぐみに,コウシ盞をあぐればシヤバポロひさげをとりもてつぎぬ。
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天註──盞をツーキ。蝦夷の音かひときがたく尚しるすことあたはず。舌人にとふべし〕
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シヤバポロ盃をとればコウシひさげしてつぎ、あな楽し、験なき宝といふとも、一杯のにごれる酒に、あに、まさらめやとおもふにや、ゑまひしつゝかたらふさま、おなじ国すら、かくことなれる人とらを、又見ん事こそかたからめと、めもかれず暮たり。
「鬚分筋其一
略式其二
淡婆姑(たばこ)笥二具」
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