Up 6月5日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-12-01







      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.548-551
    五日
    つとめて風吹浪たち、雨さへふれば出たゝず。
    あるじ青山しげよしのいへらく、ことしは海狗(ウネヲ)(おっとせい) の多かりつれど、去年の冬は海のあれにあれて、おもふにたがひしかど、卯月の(レバ)もよかりけるなど語れり。
    此ウネヲてふものは(シャバ)は猫に似て、身(むくろ)は獺(をそ)にことならぬ獣也。
    もろこし人は膃肭といふものの、それが(ハング)といへどしからず、まことは、それが雄元(チエヰ)(たけり)をとりて薬とはせり。
    ウネヲは、かんな月の寒さを待得て、冬の(ヘロキ)(にしん)の集(すだ)くをくはんと追ひあさるを、蝦夷舟(チイツフ)こゝら、このコタンより乗出て、突きてんとねらひありけど、冬の海のならはしとて、いつも浪あれ風はげしければ、アヰノら挙て平波(ノト)(なぎ)あらん事をいのり、斎醼(カムヰノミ)とて神にみわ(酒)奉り、をのれらも酔ひ、かく祈禱(ツシユ)して、あら浪のうちなごむしるしをうれば、海はいづらにかウネヲのあらんと(シユマリ)(シャバ)を、をのれをのれがかうべにいたゞき
     〔 天註──狐をシユマリともシユマリカムヰともいひ、もはら黒狐ををそり尊めり。さりけれど撃てとりぬ〕
    そとふりおとして、そのシユマリのシヤバの口の向たらん方に、ウネヲのあるてふ神占(トシユヰ)して、それをしるべに十余里の沖に、あまたの(チイップ)をはるばるとこぎ出るに、たがはずウネヲは、あをうなばらの潮と浪とを枕に寐るといふ
     〔 天註──于尼袁は海寐魚、又倦寝魚ちふシャモ詞のうつりにてや。仁徳紀に、調灘曾虚赴於繍能烏苫洋 ミナアコフオミノヲトメミナソヨフヲ などいへり。こは水底歴魚とってきたる辞にして、ウネヲも倦み採る魚ちふこと葉にてや〕。
    それが寝るに、そのかたちしなじな(品々)也。
    ヨコモップといふは片(テツヒ)にて、ふたつ()(ケマ)をとりおさへて、左のテツヒをぱ海にさしおろし、汐をかいやりてふしぬ。
    これには、投鋒(ハナリ)いと撃やすし。
    テキシカマオマレとて、片(テツヒ)をば水にさし入れ、右のテツヒを腰にさしあてて、シヤバのなからばかり潮にひぢて寝たり。
    チヨロボツケとは、かたテツヒを水に入れて、さし出したるふたつの(ケマ)を、かたテツヒしておさへたり。
    カヰコシケルといふは左のテツヒを水に入れ、右のテツピを上にさゝげて、身をふるはして寝たり。
    セタボツケといふは(セタ)の寝(ふ)したる姿にことならず。
    かゝるなかにも、テキシカマオマレといふが耳のいとはやき宿(ね)やうなれば、いつも、これを突もらすと、蝦夷(アヰノ)物話(イタク)にせり。
    ウネヲの牝をポンマップといひ、牡をデタルウネヲといへど、寤寐(ごび)たるすがたは牝牡ともにことならず。
    ウネヲの(レバ)にとて(ヲツカヰ)の沖に出れば
     〔 天註──ヲツカヰの仮字にや、オツカヒのかなにてや〕、
    (メノコ)はゆめ(ケム)も把らず木布(アツシ)も織らず、(アマム)もかしがず手もあらはず、たゞふしにふしてのみぞありける。
    其ゆへは、オツカヒ(レバ)に出てハナリ(投げ銛)とりうちねらふに、そのアヰノの家に在るへカチにてまれ、メノコにてまれ、(チセヰ)にせしとせし事のかぎりを、波に寝たるウネヲの、ふとめざめてそのまねをすれば、えつきもとゞめず、手もむなしう、はらぐろにのゝしりこぎ皈(帰)り来て、けふはしかじかの事やありつらんと、そのせし事どもを掌をさすやうにとふに、家に、せしとせしわざの露もたがはねば、屋を守る人、をそれをのゝき、身じろぎもせずして、ふしてのみぞありける。
    かゝればウネヲも、うなの上に能ふし、よくいねて、(うち)やるハナリのあたらずといふ事なけんと。
    つとめてウネヲを漁りに出んといふとき、なにくれと其(レバ)の具どもを南の(フヰ)より取出し、カンヂ,アリンベ,ウリンベ,マリツプやうのものとりそろへ搒出て、海の幸もありてウネヲを捕得て皈来て,其ウネヲをば船底に隠しおきて舟よりおりて、をのが家に入て、ウネヲ撃たる事は露もそれともらさで,なにげなう,つねの物話をし,(たばこ)酒くゆらせなどして、れいのごとく南の窓より、撃たるウネヲも、その(レバ)の具も取ぐして入れ、ウネヲをぱ厨下(うちには)に伏せて、臠刀(エビラ)もてウネヲの腹を(さき)(ニンゲ)を採りしぼりて、 舟の舳に、ウネヲの血ぬる斎祀(まつり)あり。
    ウネヲをさいたる小刀(エビラ)もて、ゆめ、こと魚を、さきつくることなけん。
    十月(かみなつき)のへロキにあさるウネヲより捕り()め、春の海に突めぐり、夏のはじめ卯月の海となりては、シャモの名に智加(ちか)といひ、アヰノこれをヌラヰといふ魚にあさるを取りて
     〔 天註──蝦夷辞にいふヌラヰ、松前但言に智加、飽田の方言地加(ぢか)と濁音にいび松前万一言なべて清音也。比魚、東海、南海のわかさぎちふもの也〕、
    卯月の末にウネヲのレバの具をばとりをさめ、ひめおきて、こと(レバ)にさらに用ざる、此コタンのならはし也。
    ウネヲひとつとり得ても、米、酒、淡婆姑(たばこ)などの酬料(ぶんま)を、それぞれにおほみつかさよりものたうばりけれぱ、此御恵のかしこさに、むくつけき、あら蝦夷人もこゝろなごやかにうち挙り、よろこびの涙磯輪にみちて、かゝる貢をば、をのれをのれが命にかへて、あら潮のからきうきめもいとはず、八重のしほぢをかいわけでとりて奉り、公にも、みつぎにそなへ奉り給ふといふ。
      漕連れて いづれば浪も しづかにて 御代のめぐみを うねをかりふね。
    紆尼[口+刂](うねお)のもの話に更てふしぬ。