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『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.580,581
ある家にアヰノの弓を作するを見れば、小刀(まきり)ひとつのわざながら真鉋(まがな)もて削りなせるがごとし。
竹箭鏃さしたる箆は高萱の茎太なるに鷗の羽を四ツ羽、あるはニツ羽にも魚肚(にべ)もて作ぎ、もと末をば糸巻て、ことなれることなし。
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天註──魚肚はユウペツといふコタンより配る、シャモ是を蝶鮫とてもて渡れり。比魚の腹より出るといふ。ユウペとはユウペツの短語ならんか、シャモのニペちふものはグウグウユウペの転語にてや〕
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竹鏃に毒をぬれり。
又楼弓のごとく弓を曳き曲ひて、これをアヰマップとてこの弩(ど)を野山におくに、獣の大なると、さゝやかなると、其身の長を図るに
大拇(おやゆび)をかゞめ、此高さしては鼠を撃ち、はた指を突立て、これは兎、これは貍(たぬき)、これは鹿、これは羆とて、わがかひな、肘のたけ、あるは立て、腰、膝などのたかさ,それぞれに斗リ立て操弓挟矢を架く。
それに長糸を曳はへたり。
此線に露もものさはらば、毒気の箭(や)飛来て,身にゆり立て、あといふ間もなう、命はほころびけるとなん。
アヰノの浦山をあないもあらで行て、此アヰマツプに撃れて身をうしない、放ちたる馬など、うたるゝこと数しらず。
もしあやまちてこの毒箭にあたらば、中毒のあたりを小刀して、肉を割き捨るの外に術なけんとか、
「箭操弓 婭委歴都布
そのかたちはよく棲弓に似て 両廣薬箭といふ弩におなし
羆をうち麋をうつに
わか身に其獣のたけをはかり
狐 うさき 山鼠 むさゝひにいたるまで
そのほとらひをはかる
規矩あり
甲 毒鏃に竹葉をとりおほひて雨露をふせき
乙 標を立て人を避けり」
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