Up 6月10日 作成: 2024-11-30
更新: 2024-11-30







「烏秀の滷 甲 運上舎或
 乙 善光寺の佛うつしまつる堂
 滷べたに 丙 蝦夷の舎あり
 みたけに旭さしのほり
 もえ出るけふりうつろえるのかた」



      『菅江真澄集 第5』(秋田叢書刊行会, 1932), pp.580,581
    ある家にアヰノの(グウ)(カル)するを見れば、小刀(エビラ)(まきり)ひとつのわざながら真鉋(ピルカネ)(まがな)もて削りなせるがごとし。
    (トップ)箭鏃さしたる箆は高萱(たかかや)茎太(くきぶと)なるに(カビ〇ウ)の羽を四ツ羽、あるはニツ羽にも魚肚(ユウベ)(にべ)もて()ぎ、もと末をば糸巻て、ことなれることなし。
     〔 天註──魚肚はユウペツといふコタンより配る、シャモ是を蝶鮫とてもて渡れり。比魚の腹より出るといふ。ユウペとはユウペツの短語ならんか、シャモのニペちふものはグウグウユウペの転語にてや〕
    竹鏃に(シウル)をぬれり。 又楼弓のごとく(グウ)を曳き(まがな)ひて、これをアヰマップとてこの(グウ)(ど)を野山におくに、獣の大なると、さゝやかなると、其身の長を図るに 大拇(ルアシキベツ)(おやゆび)をかゞめ、此高さしては(エリモ)を撃ち、はた指を突立て、これは兎、これは(モロク)(たぬき)、これは鹿(ユツフ)、これは(チラマンデ)とて、わがかひな、肘のたけ、あるは立て、腰、膝などのたかさ,それぞれに斗立て操弓挟矢(アヰマツプ)()く。
    それに長糸()を曳はへたり。
    ()に露もものさはらば、毒気(シウル)(アヰ)(や)飛来て,身にゆり立て、あといふ間もなう、命はほころびけるとなん。
    アヰノの浦山(コタン)をあないもあらで行て、此アヰマツプに撃れて身をうしない、放ちたる馬など、うたるゝこと数しらず。
    もしあやまちてこの毒箭にあたらば、中毒(シウル)のあたりを小刀(エビラ)して、(ししむら)を割き捨るの外に(すべ)なけんとか、
    箭操弓(アヰマップ) 婭委歴都布
     そのかたちはよく棲弓に似て 両廣薬箭といふ弩におなし
     羆をうち麋をうつに
     わか身に其獣のたけをはかり 
     狐 うさき 山鼠 むさゝひにいたるまで
     そのほとらひをはかる
     規矩(ノリ)あり
      毒鏃に竹葉をとりおほひて雨露をふせき
      標を立て人を避けり」