Up 6月15日 作成: 2024-12-06
更新: 2024-12-06







      『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.147,148
    やをらふしつきぬとおもへば、夜半ばかり、かにばのまつをところどころにともしたて、メノコども七八人して、ふしたるひとりのメノコをおこしすへて左右の手をとり、ぬかをおさへ腰をかかへて、エビラ(小刀)やうのものをのんどへつき入て、口よりは血にてやあらん、泉の水をうつすが如くはきいだすをママにうけ、かくすることいくたびといふことをしらず。
    こはいかにしてか此メノコひとりをせめてけるならん、 アヰノの身におかしあり、ものうたがひあり、又盟ふことのありけるにも湯をかへらかし、ホプハアとて熱あがる中に湯きしやうのごとく手をつきたて、あるは鎌ふな釘をやいかねとして、たなごころにおく。
    これを(サイモン)といふときけば、もしさることやあらんと床よりおりて近う寄て、これをうかゞひ見れば、ヤヰク◦ツポエといひて、鳥のはぐきをこきさり、うれにすこし毛の残たるをもて、のんどにさしいるれば、反吐(アツプリ)とて、たぐりをぞしたりける。
    こは(シウル)にあたりて不快(ヤイノフミ)するメノコをいやすにこそありけめ。
    これをゆくりなう目ざめて、ヤヰク◦ツポエを小刀(エビラ)と見おどろきたる僻目こそ、かの文学(覚)上人の勧進牒のたぐひこそあらめとあきれ、ひとりゑみして夜はあけたり。
    アヰノのくにには、いづこも医薬鍼灸てふことのなけれど、人ごとにそのやまう ど(病人)いやすのじち(術) はシャモにこえたり。