|
『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.147,148
やをらふしつきぬとおもへば、夜半ばかり、かにばのまつをところどころにともしたて、メノコども七八人して、ふしたるひとりのメノコをおこしすへて左右の手をとり、ぬかをおさへ腰をかかへて、エビラ(小刀)やうのものをのんどへつき入て、口よりは血にてやあらん、泉の水をうつすが如くはきいだすをママにうけ、かくすることいくたびといふことをしらず。
こはいかにしてか此メノコひとりをせめてけるならん、
アヰノの身におかしあり、ものうたがひあり、又盟ふことのありけるにも湯をかへらかし、ホプハアとて熱あがる中に湯きしやうのごとく手をつきたて、あるは鎌ふな釘をやいかねとして、たなごころにおく。
これを責といふときけば、もしさることやあらんと床よりおりて近う寄て、これをうかゞひ見れば、ヤヰク◦ツポエといひて、鳥のはぐきをこきさり、うれにすこし毛の残たるをもて、のんどにさしいるれば、反吐とて、たぐりをぞしたりける。
こは毒にあたりて不快するメノコをいやすにこそありけめ。
これをゆくりなう目ざめて、ヤヰク◦ツポエを小刀と見おどろきたる僻目こそ、かの文学(覚)上人の勧進牒のたぐひこそあらめとあきれ、ひとりゑみして夜はあけたり。
アヰノのくにには、いづこも医薬鍼灸てふことのなけれど、人ごとにそのやまう
ど(病人)いやすのじち(術) はシャモにこえたり。
|
|
|