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砂沢クラ (1983), pp.217-219
[1935年]
登別温泉に来てしばらくして、金成さんから「私は妹の家に住むから、あなたたちは私の家に住んで( 知里)真志保にアイヌ語を教えてくれないかしという話がありました。
‥‥
真志保さんは、熱心に、毎日欠かさず通ってきて、夫からアイヌ語を習っていました。物置でクマ彫りをしている夫の前に座り、ユーカラ(長編英雄叙事詩)やトゥイタック(昔話)を書いた紙をめくりながら、いろいろ聞くのです。
真志保さんの話すアイヌ語は、はっきりと聞こえない音、字で書けば小さく書く字が、よく抜けていたようです。たとえば「セコロイタック(そう言ったとき)」の「ロ」が抜ける、といったふうで、夫は「ロを落としちゃだめだ」とやかましく注意していました。
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同上, pp.330,331
白老に行った次の年 (昭和四十五 [1970] 年) の夏、川村の兄 (カ子トアイヌ) たちと白金温泉 (上川管内美瑛町) に行った時のことです。
兄に「九州から四百人の客が来ている。ユーカラをしてくれ」と言われました。
‥‥ 母も演じ、夫からも教えられた「アトゥイヤコタンで戦うポイヤウンペ」を演じました。
‥‥
お客さんは喜んでくれましたが、一緒に行ったアイヌはあまり喜んで聞かないのです。
「名寄のヤンパヌおばさんは声がよかった」などと言うのです。
ユーカラは声だけを聞くのでなく、歌われている内容が大事なのです。
ユーカラの言葉がわからない人が多くなって、声だけ聞くようになった、と思います。
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同上, p.332
私は、和人の言葉ではどうしても正しく書けない音だけ、たとえばトゥを tu、ウェンを wen と英語 (ローマ字) で書いていたのです。
tu はある人に「ばあちゃん、ツに º をつけてツと書いてもいいんだよ」と言われ、ツと書くこともあります。
このほかにも、ウォをヲ、イェをヱと書いたり、はっきりと聞こえない音はプやクを小さく書くなどいろいろ考え工夫しています。
アイヌ語を和人の言葉で書くのはとても難しく、小さい字がひとつ抜けても意味が違ってくるのです。
そんなわけで、アイヌ語を研究している人でも、時々、小さい字が抜けることがあるので、アイヌ語の手紙をもらうと、何のことか、と考え込まきれることがあります。
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引用文献
砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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