Up | 大雨洪水災害の本質 : 要旨 | 作成: 2020-07-08 更新: 2020-07-08 |
そしてきまって,「これまでに経験したことのない大雨」が言われ,「地球温暖化」に話を及ぼす。 これは,騙しである。 「治水工事」にひとの目が向かないよう「地球温暖化」に罪をなすりつける──これが,ほんとうのところである。 いまの川は「水路」である。 「水路」になる前の川,それは氾濫川である。 大雨で溢れては流れを変えるのが,川というものである。 そして,水は低いところをつたって流れるから,川面は周りの土地よりも低い。 しかしひとは,「治水工事」の技術を獲得していくことで,川を水路として固定するようになる。 氾濫を考えなくなり,水路のそばを居住地にし,住まいを固定する。 住まいには家財道具を増やしていく。 ところでこの川は,川面が周りの土地より高くなっていく川である。 川は,山から低地に出ると,扇状地をつくる。 その先は,沖積平野をつくる。 即ち,川は,大量の土砂を運ぶものなのである。 川が水路になっても,それはこれまで通りに土砂を運搬している。 川の両岸は土手だから,この土砂は川底に貯まるしかない。 こうして,川底は高くなるばかりとなる。 川底が高くなると水が溢れるようになるから,土手を高くする。 高くするときは,これに釣り合うよう幅を拡げる。 川の土手は大きくなるばかりとなる。 しかしこのやり方で自然の上を行くなんぞは,できることではない。 大雨が降れば,土手を超えて川の水が溢れたり土手が決壊したりして,洪水に見舞われるところが確率的に出てくる。 人が住む土地の川は,いまはみな水路である。 そして,ひとが何百年も住んでいる土地の川は,何百年も水路である。 このような川は,すっかり天井川になっている。 そして天井川の場合,洪水は頭上から来る。 <川=氾濫川>と<川=水路>の大雨洪水は,様相がまったく違う。 「短時間で家の一階が水没」みたいのは,<川=水路>の場合である。 激甚災害級大雨洪水は,「治水工事」が<構造的必然>的に招くものである。 堤防が決壊したところは,水路全体の歪みの解放がその一箇所に集中するから,「激甚災害」になる。 ひとは,一つのことを全体にひろげる癖がある。 自分の「これまで経験したことが無い」はどこでもそうだと定める。 こうして,「自然が変なぐあいになっている」「大雨洪水は地球温暖化が原因だ」となるわけである。 繰り返すが,激甚災害級大雨洪水は「治水工事」が<構造的必然>的に招くものである。 <川=氾濫川>は歪みが全体で分散解放されるから,「激甚災害」みたいなことは起こらない。 <川=水路>は歪みの解放が堤防決壊箇所に集中するから,「激甚災害」になる。 単純な話である。 「自然災害」という言い方を用いるのは,「治水工事」の含蓄にひとの考えが向かわないようにするためである。 「治水工事」の本質に気づかれたくない者,それは「治水工事」利権である。 もっとも,現代人に,<川=氾濫川>と折り合いをつける生活はできない。 ひとは,昔には戻れないのである。 かくして,<大雨 → 激甚災害級洪水災害>は,ひとが甘んじて受け入れるものである。 <川=水路>をよしとしたことは,<大雨 → 激甚災害級洪水災害>をよしとしたことなのである。 |