Up 備考「自己同一性障害」: 要旨 作成: 2015-01-27
更新: 2015-01-27


    本論考は「わたしとは何か」の問いを,科学の問いと見込んで立てる。
    本論考は,個人の科学趣味として行うものである。

    実際,「わたしとは何か」を論考するなどは,閑人のすることである。
    まっとうな人間は,しない。

    「閑人」と「まっとうな人間」の二分法を立てるとき,これから漏れる者がいる。
    「「わたしとは何か」の答えを持てなくて困っている者」である。
    論理として,このカテゴリーが立つ。

    では,そのような者は,実際にいるのか?

    ここで謂う "「わたしとは何か」の答えを持てない" は,"自分を意味づけられない" ではない。
    "自分を意味づけられない" で困っている者は実際にいて,「障害者」とされる。
    「自己同一性障害」が,この「障害」に対する呼び名である。

      「まっとうな人間」は,自分を意味づけることに成功している者ではない。
      " 自分を意味づける" の課題で自分を煩わすようなことはしない者である。
      " 自分を意味づける" の課題で自分を煩わすのは,「自己同一性障害」ということにになる。

    ここで謂う "「わたしとは何か」の答えを持てない" は,"自分を存在づけられない" である。
    "自分を存在づけられない" で困っている者がいるのかどうかは,不明である。
    いるとすれば,「存在論的自己同一性障害」ということになる。
    翻って,先の「自己同一性障害」は,「意味論的自己同一性障害」である。

      存在論的自己同一性障害の者は,文学の中には登場してくる。
      例:『死霊』(埴谷雄高)