Up | 「善意」のネットワーク支配 | 作成: 2008-02-18 更新: 2008-02-18 |
それはどのような「善意」か? このときの「善意」は,エリート主義の善意 (「独善」) である。 実際,大学執行部に加わろうとするほどの者は,自分をエリートと見なしているわけなので,エリート主義の独善に嵌りやすい。 しかも,国立大学には,伝統的に,前衛主義・中央指導のイデオロギーが色濃くあった。 このイデオロギーにつく大学執行部が「法人化」の国立大学の執行部にそのままスライドすれば,「学長の強いリーダシップ」に前衛主義・中央指導がピッタリはまったトップダウン体制ができあがる。 一般論として,前衛主義・中央指導は,「大衆=愚民」思想 (「大衆は,中央が指導し従わせるべきもの」) であるので,一般組織員が指導部に向けて意味のある批判をすることはあり得ないものになる。 一般組織員が中央を批判することは体制にとって有害であり,これは取り締まりの対象としなければならない。 言論の抑圧へ。 言論抑圧の最も効果的で直接的な方法は,言論メディアの支配である。 ──こうして,前衛主義・中央指導体制は,自ずと言論メディア支配に向かう。 この一般論を,いまの「法人化」の国立大学にあてはめてみる。 前衛主義・中央指導体制にとって,自分を脅かす<言論の自由>の最も強力なメディアはネットワークである。 これを支配すれば,批判は個人レベルで封じ込める。 「<言論の自由>のメディアとしてのネットワーク」というコンセプトは,国立大学に特徴的なものである。 実際,民間の営利企業をはじめほとんどの機関のネットワークは,このコンセプトと無縁である:
なぜ国立大学では「言論の自由」なのか? それは大学が,自分が社会的価値をアウトプットする方法論を
前衛主義・中央指導は,確信的に反自由主義である。 そこで,「前衛主義・中央指導を体質とする大学執行部が起こり,ネットワーク支配に進む」事態を,警戒的・批判的に主題化することが必要になるわけである。 |