Up | 生態系学 | 作成: 2014-12-02 更新: 2015-01-15 |
(1) <生きる>の多様性 人は<生きる>に是非を立てたがるが,<生きる>は何でもありである。 <生きる>に,是非はない。 一方,「何でもあり」は,何でもありであって,何でもありではない。 生態系は,個々の何でもありが全体で均衡している相である。 自由でそして定まっているのが,生態系である。 <生きる>は,それぞれ「これ以上はない (no more than this)」の様を示す。 特に,<生きる>においては,下等も高等もない。 生態系学を学ぶことは,個々の<生きる>に対しリスペクトの念をもつようになることである。 数学教育学を行う者は,<生きる>をこのくらい拡げて考えておかないと,人や社会を論じ出せればとんでもなく狭隘で自家撞着の論をやってしまう。 そしてこの場合最も困ることは,狭隘・自家撞着が自分ではわからないことである。 ──わからないとは,これを自分の常態にしていくということである。 人間の<生きる>は,生態系の中の<生きる>である。 人間の<生きる>は,生態系の<生きる>の方から,捉え直すことができる。
(2) <系>の考え 生物学の「系」は,生体に実現されているところの「自己保存する系」である。 生態系学の「系」は,物理学の「系」と同種で,生態系に実現されているところの「エントロピー増大則に従う系」である。 「学校数学」の系は,アプローチの仕方に応じて,「自己保存する系」と「エントロピー増大則に従う系」の両方が考えられてくる。 |