Up | 主題/ストーリー | 作成: 2015-02-17 更新: 2015-02-18 |
アタリマエと思うだろうが,数学教育学では,主題/ストーリーが立っていない論文の方がふつうである。 「論文を書く」には,つぎの2タイプがある: そこで,タイプBが有り得るとなる。 そして,実際,歴然として有る。 特に,大学院生の場合,タイプAにはなりにくい。 「書きたい」は,「吐き出さねば身が保たない」がそうさせる。 貯め込みがあって,「書きたい」になる。 「貯め込み」は,「経験値」である。 ところが,数学教育学専攻の大学院生の不利は,「数学教育/学校数学」の経験蓄積にはひどく時間がかかるということである。 大学院生は,自分のこの不利をよくよく理解しておくこと。 このことを理解しておかないと,無用にあせったり,悲観したりする。 「数学教育学は二, 三十年先に芽が出る分野」と達観してかかるのが,身のためにはよい。 さて,タイプBでは,「書きたいこと」が後付けになる。 主題,ストーリー (物語) が後付けになる。 後付けになっているならまだしも,主題/ストーリーが端から無いものがある。 「論文」の形をしたもので,終わっている。 このような「論文」は,大学教員の論文においてもふつうに見られる。 このことは,「主題/ストーリー」の意識を持てることが一つの能力であることを示している。 「主題/ストーリー」の意識は,自ずと持たれるようになるものではない。 この意識を身につける鍛錬を自覚的に行わねば,意識にならないということである。 学術的論文の主題/ストーリーの形は,単純である。 実際,単純でなければならない。 その形は,おおよそつぎのようになる: 自分の論文に (上に示した形の) 主題/ストーリーが立っているかどうかを見る方法は? 論文からつぎの4つを抜いて,つないでみる: 主題/ストーリーがここで立っていないのは,「主題/ストーリーを立てるのが下手」ではない。 「主題/ストーリーの意識が端(はな)から無い」である。 ──少なくとも,このように心得るべし。 なお,題目は,主題/ストーリー提示の一環である以上,主題/ストーリーをはっきり表すとか,主題/ストーリーの雰囲気をしっかり感じさせるものにするべきである。 即ち,「なぜ・何を・どうして・どうなった」が,題目のあるべき形である。 しかし現状は,このうちの「何」だけが題目になっているものが,ほとんどである。 即ち,「何に関する研究」「何に関する考察」になっている。 副題とセットにするにしても,このような題目よくない。 論文は,攻める姿勢でつくる。 その攻める姿勢は,題目のところから既に始まる。 |