Up | はじめに | 作成: 2012-02-12 更新: 2012-03-09 |
算数・数学ができる・わかるとは,理に則って考えられることだと思われている。 翻って,算数・数学ができない・わからないとは,理に則って考えられないことだ,となる。 そして,理に則って考えられないのは,アタマがわるいからだ,となる。 ここで,もし算数・数学の科目の内容が決して明証的ではないとしたら,どうだろう? 生徒も授業者も,明証的でないものを明証的であると思い,自分のうちで明証的にしようとし,それができないことを自分のアタマのせいにしてしまう。 教員だったら,さらに,<できなくてもできるふり>を強迫観念にしてしまうかも知れない。 「分数・小数のかけ算・わり算」は,立式・計算のきまりの説明が,わからないものになる。 特に,「数直線」を使う説明は,わからないものになる。 そしてこの<わからない>は,内容がもともと明証的でないことが根本にある このとき,<できる・わかる>とは説明を<呑み込んだ>ということであり,呑み込めないでいる者が<できない・わからない>者になっているということである。 本論考は,「数直線で分数・小数のかけ算・わり算」の非明証性が実際どのようであるかを,論じようとするものである。 趣旨は,授業者が自分および生徒の<できない・わからない>を誤って判断してしまわないようにすることにある。 非明証性を見る方法は,明証的な「け算・わり算」との対照・対比である。 明証的な「かけ算・わり算」はどこにあるかというと,数学にある。 そこで,つぎが方法である:
本論考は,論点を拡散させないために,<数学との対比>のみを行う。 「数直線でかけ算・わり算」の出自・沿革および現状況 (学習指導要領・教科書の内容等) には,触れない。 本論考が,「数直線でかけ算・わり算」の非明証性の内容として示すことになるものは,互いに関連し合うつぎの3点である: |