- 認知的不協和
- 菊池聰『なぜ疑似科学を信じるのか』
[信念/反証パラダイム]
pp.115,116.
そしていうまでもなく、近未来の日時を指定した終末予言はことごとくハズレてしまった。
では、その教祖様と信者たちはどうなったのだろうか?
ふつうに考えれば、信者には教祖様への疑惑が生じ、信仰集団は分解するように思える。
しかし、歴史を振り返ると、ハズレたにもかかわらず、それまで以上の情熱をもって信仰と布教に没頭するようになった例がしばしば見られたのである。
‥‥
ここでは、「自分の信仰」と「予言が完全にハズレた」という要素が強い不協和状態を引き起こしている。
なんとか低減したいところだが、どちらの要素も変更はほぼ不可能であろう。
予言は明白にハズレた。
そして、現世の人間関係や財産を放棄して出家同様になった信者が、その信仰を変更することはできない。
それは、自分自身の愚かさに直面することになる。
であれば、不協和的な要素を操作することで、調和のとれた一貫した状態に近づけるしかない。
信者の間では、さまざまな情報の歪曲や選択が行われたが、ここで重要だったのは、周囲に同じ信仰を守る仲間がいるという要素である。
社会からいかに哄笑されようと、その失敗を認めない者が周囲にいればいるほど、自分は過ちに直面せずにすみ、不協和を低減できるのである。
タバコの場合でも、喫煙所で喫煙者どうしが群れると安心感があるようなものだ。
つまり、不協和低減のためには、仲間との連帯を強め、同じ信仰を持つ者を増やす必要があるのだ。
そのため、彼ら彼女らは、以前にも増して一心不乱に信仰と布教活動に打ち込んだのである。
逆に、こうした追い詰められた立場におらず、また信者どうしの紐帯も弱い一般信者の多くは教団を去っていった。
pp.117,118.
‥‥ たいていの疑似科学には、商品化や宣伝、信奉者の獲得という「行動」が先行してしまうことで、のっぴきならない不協和状況に追い込まれるという構造があることに注意したい。
すでに指摘したように、疑似科学は、学術研究の場よりもまずマスコミで広められ、具体的な商品サービスへの応用に直結する傾向がある。
この状況下で、疑似科学の理論は、教祖の終末予言と同じく、多くのステークホルダー (利害関係者) の生活がかかる重大事になっているのである。
いまさら「マイナスイオンが健康にいいって間違いでした。ごめん ^^ゞ」とか、提唱者がいいだせるだろうか?
‥‥‥‥
これは単に「引っ込みがつかない」ので開き直るという話ではない。
「間違った科学に,なんでこんなに支持者がいるのか?」と考えるのではなく,「間違っているからこそ,すばらしい価値がなければならないし,たくさんの支持者がいなければならない」のである。
そして,これは提唱者ばかりではなく,消費者側にも強く働くことはぜひご記憶いただきたい。
高い金を払って買った機器は,すばらしいものでなければならない。
だから批判的な情報には自ら目をふさぎ,そのすばらしさを理解できる仲間を増やそうとするのである。
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- 参考Webサイト
- 参考文献
- 菊池聰『なぜ疑似科学を信じるのか──思い込みが生み出すニセの科学』, 化学同人, 2012.
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