Up | 競争の制御論 | 作成: 2007-07-21 更新: 2007-07-21 |
すなわち,競争主義は,「負け体の者は潔く敗者として身を退く」を前提にし,そして「身を退く」の内容の問題を閑却する。 「敗者は弱者ではない」の論がある。 敗者はまた挑戦すればよい,特に,敗者の救済を考えることは無用,というものだ。 しかし,競争主義が問題なのは,競争が徒競走なんかではなく,「生き残り競争」だということ。 「生き残り競争で負ける」とは,「徒競走で負ける」とは全く様相が異なる。 「徒競走で負ける」は,「生きる」を危うくされることではない。 これまでの生活を保持して,つぎの徒競走に勝てるよう練習することができる。 生き残り競争に負けるとは,「死ぬ」ということ。 「生活の維持」のところから,危うくされる。 だれでも死にたくないので,負け体になってもしぶとく生き残ろうとする。 競争において「負け体でありながらしぶとく生き残る」形は,「競争でズルをする」。 したがって,「敗者=弱者」は言えなくても,構造として「敗者→邪者/狡者」は言える。 このように,競争社会は,「格差社会」というだけでは終わらない。 競争社会は,「道徳壊乱社会」である。 ──道徳壊乱は社会の根本の壊乱。 ゆえに,競争主義は問題なのだ。 現に,いまこのことが進行している。 この問題を解決する形は,「競争の制御論」ということになる。 すなわち,「競争を生き残り競争にしないような競争制御」を科学すること。
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