Up 「考えていない」が意識されない 作成: 2010-02-26
更新: 2010-02-26


    カリキュラムについての意見交換会では,互いに思いつき (素人考え) を出し合う。 このとき,思いつきを出したところで,役を果たしたつもりになる。
    これは,奇妙なことと思わねばならない。

    アイデアが出されるときには,このアイデアを導いた計算過程が,存在していることになる。 しかし,意見交換会では,「計算」が完全に思考停止されている。 論理的計算・シミュレーションをもたずにただ思いつきを言うことが,奇妙なことと思われていないのである。

    カリキュラムは複雑系であるから,論理的計算・シミュレーションはほとんど不可能である。 しかし,この不可能であることと,「論理的計算・シミュレーションをもたずにただ思いつきを言うことが,奇妙なことと思われていない」は,まったく別のことである。
    不可能を意識していれば,素人考えは通らない。
    一方,「論理的計算・シミュレーションをもたずにただ思いつきを言うことが,奇妙なことと思われていない」場合は,素人考えが通ってしまう。

    思いつきを言えてしまうのは,「論理的計算・シミュレーション」の概念がこの場合もたれていないからである。 自分の「考えていない」が,自分で意識されていないのである。
    実際,論理的計算・シミュレーションの根拠無しに意見を述べるというのは,ひとの普通のあり方である。 ことばを使うとは,そういうことだからである。
    ただ,このやり方をやっていて大したことにならない場合と,大したことになる場合がある。 そして,カリキュラムの場合は,後者である。