「環境破壊」というときの「環境」の意味は、「自分の拠って立つところ」である。
「環境破壊」は、「自分の拠って立つところ」の破壊であるから、「自殺行為」の意味にになる。
「環境破壊」の行為は、自分の利得のためにする行為である。
「自分の利得のためにする行為」が「自殺行為」になっている。これが「環境破壊」の構造である。
「自殺行為」であっても「自分の利得のためにする行為」が妨げられないのは、両者の間に (1)「自分」の意味のずれと (2) 時間差とがあるからである:
- 「自分の利得のためにする行為」の自分は、利己的個人ないし利己的組織である。
一方、「自殺行為」の自分は、国とか世界とか人類とかである。
- 利己的個人ないし利己的組織による「自分の利得のためにする行為」の一つひとつは、国とか世界とか人類とかの「自殺行為」の契機の一つひとつということになる。そして、契機の一つ一つとしては、小さい。
よって、「自殺行為」の意味を見てみないふりをして、「自分の利得のためにする行為」へ進むことできる。
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