Up | 倫理を説く者からの自由 : 要旨 | 作成: 2014-12-25 更新: 2014-12-25 |
立てられる「自由」は,「やりたい放題」である。 つぎに,この「自由」では人が生きていけないことを説く。 そこで,倫理が必要だと説く。 即ち,「制約と折り合う」を「自由」の立つ瀬にし,この「制約」が倫理だとする。 倫理を説く者は,倫理を万人に一律に課す者になる。 「倫理はウザイ」は,「倫理を説く者 (一律を課す者) はウザイ」である。 「倫理はウザイ」の言う「自由」は,「倫理を説く者 (一律を課す者) から離れていられる」である。 倫理を説く者 (一律を課す者) は,規則を説く者である。 「倫理はウザイ」の言う「自由」は,「規則から離れていられる」である。 規則は,統制のためである。──統制の方法は,規則である。 「倫理はウザイ」の言う「自由」は,「統制から離れていられる」である。 「倫理」は,倫理を説く者を介すると,「一律」に化ける。 「倫理はウザイ」は,倫理を退けるのではなく,一律を退ける。 倫理を説く者の倫理には,人間が存在していない。 ──倫理を説く者の「人間」は,概念である。 人の現前は,<生き物>の発現であり,したがって多様性の発現である。 人の現前は,確率事象である。 「確率的」は,存在の前提であり,認め,折り合うのみである。 「解決」みたいなことを考えるものではない。 この立場に立つのが,文学である。 「自由を立てる・持つ・保つ」は,力である。 「力」は,特に,「理知 (インテリジェンス)」である。 理知を得る方法は,「修行」である。 こうして,「自由」は修行の賜である。 |