Up 「無慈悲な鉄槌」の是認 作成: 2014-12-24
更新: 2014-12-24


    「人権」を立てる者は,「虐げられる者」の状況が変わらないことを見る。
    「虐げる者」が改心しないことを見る。
    「虐げる者」が根っこから「悪者」であることを見る。
    こうして,「人権」を立てる者は,「悪者」退治を想う者になる。


    人の歴史には,「悪者」を立て「悪者退治」を立てる思想が,絶えず現れる。
    「悪者退治」は,つぎのようになる:
      「悪者」は,社会をカラダと見立てればガン細胞みたいなものである。
      「ガン細胞」だから,「無慈悲な鉄槌」で殺してしまうべきものである。

    「ガン細胞」に対しては,ひとは「無慈悲な鉄槌」ができるようになる。
    「ナチスのユダヤ人虐殺」「スターリン粛清」「國體思想」等々は,みな「ガン細胞撲滅」の倫理意識に立っている。


    「人権」を立てる者は,「虐げられる者」を立て,これを「人」にする。
    翻って,「虐げる者」を立て,これを「ガン細胞」にして,「無慈悲な鉄槌」を想う。
    「無慈悲な鉄槌」を実際に行うとき,それが「革命」である。

    実際には,「虐げる者」はいない。
    「虐げる者」にされた者がいる。
    その者は,「悪者」になり,「ガン細胞」になり,「無慈悲な鉄槌」を受けるのが相当と想われる者になる。

    このことから,われわれは何を思うべきか?
    「人権」を説く者を「善人」「正義の人」のように思うのは,オメデタイということである。

    「人権」を説く者は,実際,危うい者である。
    <危うい>の構造は,「一面的」である。
    一面的捉えに自足しているから,この「一面的」は「独善」である。
    「独善」は,自分のようでない者を「悪」にする。
    そして,「退治」「無慈悲な鉄槌」を想う。