Up 「人権」を真に受ける者は,権力志向になる 作成: 2014-12-27
更新: 2014-12-29


    「人権」は,方便である。
    方便で使うものである。
    一方,方便を使えるのは<お釈迦様>,と相場は決まっている。
    <下衆>が方便を使えば,ろくでもないことになる。

    人権を説く者は, 「人権」が方便であることを知らない者である。
    「人権」を真に受ける者である。
    そこで,変な方向に進んでしまう。

    人権を説く者は, 「人権」無視を続けるシステム,「虐げられる者」を相も変わらず生み出すシステムとして「権力」を措定し,この権力の打倒をソルーションに定める。
    このとき,「権力の打倒は権力を以て!」を立てる。
    そこで,「権力奪取」が実践行動になる。

    穏やかな「権力奪取」は,国・自治体の議会で自派/自党が多数を占めるようにすること,長に自派/自党の者を就けることであり,「選挙活動」が実践行動である。
    過激な「権力奪取」は,「革命」である。即ち,「虐げられた者」が「虐げる者」と血戦をして,勝利することである。

    「権力奪取」は,その過程において,そしてこれがなった後も,人権派内部の「権力闘争」に姿を変えていく。
    これは,「相手を殺らねば自分が殺られる」の構図になる。
    敵対関係は,「虐げる者」に対する敵対関係よりはるかに熾烈で,陰湿なものになる。
    「権力奪取」後は,「粛清」が定番である。