Up 歴史認識 作成: 2009-07-22
更新: 2009-07-22


    国立の教員養成系大学・学部で教科教育を担当する教員は,教科教育の歴史の端に立っている。
    現前の教科教育のコースに対してこれの「適切」を考えるときは,歴史をあわせて考えることになる。 ──「適切」は,共時性と通時性の両方に対する「適切」の意味になる。

    歴史の認識をもてることは,専門性である。
    翻って,部外者/素人は,歴史の認識をもてない。 教科教育は,自分の目にいま見えているものがすべてになる。
    このような者が教科教育の<適切>を考える立場に立たされるとき,思いつきで教科教育に采配をふるう者になる。 「理由があって──いろいろな連関の結果 (すなわち,複雑系の相) として──そうなっている」ということが,わからないからだ。

    思いつきで事を行うとは,<理由があってそうなっているもの>を覆すということである。 これは,破壊になるのみである。