Up 教員養成から教員免許を切り離す 
 ──自分の基盤を自ら壊す<愚>
作成: 2009-07-16
更新: 2009-07-16


    「商品」は,「顧客に好まれる」を含意する。
    教員免許の場合,「顧客に好まれる」の内容は,つぎの二つである:
    1. 社会に通用する (権威がある)
    2. 取得しやすい

    この二つは,矛盾する関係にある。
    取得しやすいものは,<権威>をもてない。
    よって,この商売は,「時間差を利用して,短期に利益を回収する」という形でのみ成立する。 ──「時間差」とは,取得しやすくするときから社会が権威を認めなくなるときまでの時間差である。

    企業は,営利を求めることが目的で,業態の保守は目的ではない。 よって,「時間差を利用して,短期に利益を回収する」は,企業のふつうのあり方である。 「計画倒産」も,立派なビジネスである。

    一方,国立大学の場合は,「時間差を利用して,短期に利益を回収する」は,自殺行為になる。
    実際,国立大学の「国立」の所以は,これの業態である。 国立大学では,自分の業態の保守が目的になる。 そしてこの業態は,<権威>に基づいている。
    教員養成系大学は,教員免許の<権威>を保つことで,自らを立てている。 この<権威>は,使い捨てできない。

    教員免許を取得しやすくすることが教員免許の<権威>を無くすことになるとは,具体的にどういうことか?

    教員免許は,本来,教員養成コースを通過した結果である。 教員免許の取得が簡単でないとは,教員養成コースの通過が簡単でないということである。
    そこで,教員免許を取得しやすくするとは,教員養成と教員免許発行を切り離すということである。
    しかしこのとき,教員免許に「教員としてやっていけることを保証する」の意味がなくなる。 教員免許が信用されないものになる。
    そしてこれは,正規に教員養成コースを通過して教員免許を取った者も,信用されなくなる,ということである。